校長挨拶
本校の歴史・校訓
本校は大正7年に開校した、創立104周年を数える歴史と伝統のある商業高校です。本校はその創立にあたり、現在の山形銀行の前身である両羽銀行の頭取長谷川吉三郎氏より土地・建物の提供を受け、商都山形を一層発展させたいという先達の商業教育にかける情熱によって誕生しました。また、本校は県内唯一の市立高校でもあります。設置者である山形市からは、学校運営に対して手厚い大きなサポートを受けています。
本校の校訓は、「輸誠」(ゆせい)という言葉です。輸誠は「誠をいたす」とも読みます。その意味は、「自己を偽(いつわ)らず、他を偽ることなく、真心をもって物事をなす」ということです。本校は、この輸誠の精神を教育の根本に据え、あらゆる教育活動を通して、他から信頼される人づくりに努めています。
本校生の活躍・進路
輸誠の精神の下、社会に巣立った卒業生は3万5千人を数え、経済界を中心に県内外の各界において活躍しています。1956年のメルボルン五輪レスリング・フェザー級で金メダルを獲得し、後に日本レスリング協会の会長を務められた笹原正三氏は、本校の最も誇りとする偉大な先輩の一人です。笹原氏からは、創立100周年を記念して、金メダルが本校に寄贈されました。現在、校内で展示しています。
本校は商業高校としての特長を生かし、日ごろの学習の成果を確認するために各種検定試験に対する取組みに力を入れています。全商協会主催の検定試験などに加えて、日本商工会議所主催の簿記検定やリテールマーケティング検定、経済産業省主催のITパスポート、日本英語検定協会主催の実用英語技能検定などを積極的に受験し合格しています。進路面においては、公務員現役合格者10名を含む73名が県内外の有力企業に就職しています。就職者の特徴としては、そのほとんど(約92%)が県内就職であるということです。高等教育機関への進学者は、国公立大学合格者6名を含めた四年制大学に141名、短期大学に11名、そして専門学校等への進学者を含めて計198名にのぼります。特に、首都圏の有力私大への進学が特徴的で、明治大学に14名の合格者を輩出するなど、MARCHだけで23名が合格しています。このように、山商は“高いレベルで就職も進学もできる商業高校”として、関係者から高い評価を得ています。
一方、部活動においては、本校生徒は世界や全国を舞台に活躍しています。昨年度においては、世界ジュニア選手権大会競泳女子背泳ぎで2つの銀メダルを獲得したり、インターハイ陸上競技において優勝や準優勝を果たしたりするなど、全国を舞台に活躍した部活動は運動部・文化部合わせて12を数えます。こうした活躍は、山形市民・県民の期待に応えるとともに、周囲に元気を与えています。
新たな100年に向けて 〜日本一の商業高校をめざす!〜
元号が「平成」から「令和」に改元された年に、本校は新たな100年のスタートを切りました。次の100年に向けて、本校はハード・ソフト両面にわたって日本一の商業高校をめざすべく、新しい学校づくりを行っています。ハード面においては、県内高校初となるPFIによる事業手法によって校舎等改築事業が進行しています。令和4年4月からは校舎棟と体育館棟が完成し供用を開始しました。学びの拠点となる多目的大講義室(情報総合実習室:通称「輸誠ホール」)や図書館と食堂を一体的に設計したラーニング・コモンズをはじめとして、今後の社会の変化に対応できる最先端の学習環境を整備しています。また、バスケットコート3面の第1体育館及びバレーボールコート2面の第2体育館が整備され、いずれも冷暖房が完備されています。さらに、それぞれの体育館の1階部分には人工芝の雨天練習場やトレーニングルームが設置されるなど、充実した運動施設が整備されました。今年11月末までには、すでに完成している人工芝のテニスコートに加えて、人工芝のグラウンド(サッカー場)並びに野球場とソフトボール場が整備されます。
ソフト面においては、学習指導要領の改訂に伴い新しい教育課程を編成しました。また、変化の激しい時代に対応するとともに、山商の教育計画を実現するために、学科構成を改編しました。さらに、生徒の多様な興味・関心や進路に対応したきめ細やかな教育を実現するとともに、生徒一人一人の能力・個性に応じた個別最適化された学習環境を実現するため、単位制の教育システムを導入しています。
日本一の商業高校をめざす山商は、新しい時代にふさわしい「魅力ある商業教育」を創造し、専門分野の高い知識・技能を身に付け、変化の激しい時代を逞しく生き抜く力を備えた優れた人財を今後とも育成してまいります。
令和5年4月1日
山形市立商業高等学校 校長 小 林 勝 喜
スクール・ミッション |
 |
スクール・ポリシー |
 |
歴代校長
年代 |
氏 名 |
在 職 期 間 |
自 |
至 |
初 代 |
渡辺 徳太郎 |
大正7年4月30日 |
昭和8年9月30日 |
第2代 |
住登 勝蔵 |
昭和8年11月27日 |
昭和16年12月27日 |
第3代 |
川村 平七 |
昭和17年2月21日 |
昭和19年2月3日 |
第4代 |
今田 実 |
昭和19年3月31日 |
昭和21年3月31日 |
第5代 |
矢部 一郎 |
昭和21年4月1日 |
昭和23年11月4日 |
第6代 |
岩掘 庄作 |
昭和24年2月28日 |
昭和27年3月31日 |
第7代 |
関原 吉雄 |
昭和27年4月1日 |
昭和31年3月31日 |
第8代 |
金森 一平 |
昭和31年4月1日 |
昭和36年3月31日 |
第9代 |
中山 二郎 |
昭和36年5月16日 |
昭和39年3月31日 |
第10代 |
庄司 徳治 |
昭和39年4月1日 |
昭和39年8月31日 |
第11代 |
遠藤 修平 |
昭和39年9月1日 |
昭和46年3月31日 |
第12代 |
田口 勝海 |
昭和46年4月1日 |
昭和48年3月31日 |
第13代 |
高山 法彦 |
昭和48年4月1日 |
昭和52年3月31日 |
第14代 |
軽部 晋四郎 |
昭和52年4月1日 |
昭和53年3月31日 |
第15代 |
後藤 孝夫 |
昭和53年4月1日 |
昭和57年3月31日 |
第16代 |
高橋 秀 |
昭和57年4月1日 |
昭和60年3月31日 |
第17代 |
大内 和雄 |
昭和60年4月1日 |
昭和62年3月31日 |
第18代 |
西塚 常弥 |
昭和62年4月1日 |
平成5年3月31日 |
第19代 |
山口 隆司 |
平成5年4月1日 |
平成7年3月31日 |
第20代 |
田口 健一 |
平成7年4月1日 |
平成9年3月31日 |
第21代 |
庄司 昌弘 |
平成9年4月1日 |
平成12年3月31日 |
第22代 |
濱田 卓良 |
平成12年4月1日 |
平成15年3月31日 |
第23代 |
角川 信一郎 |
平成15年4月1日 |
平成18年3月31日 |
第24代 |
相馬 周一郎 |
平成18年4月1日 |
平成20年3月31日 |
第25代 |
今野 清 |
平成20年4月1日 |
平成24年3月31日 |
第26代 |
武田 悟 |
平成24年4月1日 |
平成26年3月31日 |
第27代 |
小川 秀人 |
平成26年4月1日 |
平成29年3月31日 |
第28代 |
井関 滋夫 |
平成29年4月1日 |
平成31年3月31日 |
第29代 |
小林 勝喜 |
平成31年4月1日 |
現 在 |